2024年11月の振り返り
Table of Contents
はじめに
2024年11月が終わったので近況を書く。
26歳になったので社会人になってからの2年間を振り返る
なった。社会人になってからの2年間が風のように過ぎてしまった。学生のころ想像していた圧倒的な熟練のエンジニアとは程遠い今の自分に、どこか情けなさと呆れがあるのは言うまでもない。
一方で、この2年間で学生の頃に経験し逃していた"遊び"を謳歌できたのも事実である。例えば、エンジニア以外の交友関係を持つこと、金額を気にせず美味しいご飯を食べに行くこと、行きつけのお店を作ること、ふらっと1人旅へ行くこと、帰り際に時間を気にせずダーツへ行くこと、恋愛をすることなど。多くの人々が学生の頃に経験していたであろう"遊び"をこの2年間で経験できたことは、今後の自分の人生の中での大きな価値となるだろう。
これらが出来たのは、紛れもなく1人暮らしを始めたからに他ならないと思っている。
ここで少し昔の話をしよう。僕は学生の頃ずっと実家暮らしをしていた。親の好意に甘えて衣食住が保証されるイージーゲームをプレイしていたのだ。学生の頃、十数のインターンシップへ行ったり技術的な成果を残したり出来たのは、単にこのバフのおかげである。その点で、上振れて今の恵まれた環境でエンジニアというお仕事が出来ているのは、親が実家に居させてくれたからであり、両親には感謝しかない。当時はそのことに気づかず、「僕は凄い」と有頂天になっていたのは、今思うと小っ恥ずかしくもある。
そんな中、実家での生活によって通り過ぎてしまったものもある。前述した"遊び"をする経験だ。語弊があるので断っておくが、両親が厳しかったという訳ではない。ぬるま湯に浸かっていた当時の僕は、そのような"遊び"をどこか蔑視し、学生として自己研鑽に励む自分に酔っていたのだと思う。だからこそ、一人暮らしを始めて、そして社会人という新しい環境の中で、学生の頃のようなパフォーマンスが出せなくなった自分に対して、密かに不安や失望を感じ始めていた。しかし、学生の頃に築かれてきた陳腐なプライドがあった手前、そのような感情を誰に相談できる訳もなく、ひた隠しにして精神的に参っていた頃もあった。
その結果、前述した"遊び"に少しずつ手を出していった。“遊び"は腐りかけていた僕に短期的な快感を与えてくれた。今なら人が堕落していく気持ちがよく分かる。当時はそんな堕ちていく感覚に背徳感を覚えつつも、その日暮らしの生き方をしていた。
そんな僕に、社会人2年目になった今年、2つの転機が訪れた。副業のお誘いとGopherCon 2024への参加だ。
副業に関しては、ありがたいことに学生の頃から繋がりのあった方からお誘いを受け、セキュリティ系の副業を出来ることになった。 本業のドメイン知識や英語でのコミュニケーションという環境に忙殺されて一杯一杯になっていた当時、副業という新しい風は僕をセキュリティ界隈に引き留めてくれる生命線であり、僕に活力を与えてくれた。働かせていただいている手前でこういうことを書くのは憚られるが、良い気晴らしになっているのも事実である。どうせ休日に暇な時間があって"遊び"に興じるくらいなら、働いてプロダクトに貢献する方が幾分か気持ちの良いものだ。それでいて、お金も貰えるなんて、労働という仕組みは本当にバグだと思う。
そして、GopherCon 2024に関しては、本業のEMに話を通して会社の制度で参加させていただいた。 その結果、このイベントは、普段の業務とは異なる技術そのものを学ぶことの楽しさを僕に思い出させてくれた。 サイドイベントでCTFもどきに参加し、ソロ参加して個人賞の半分以上を掻っ攫えたのも、僕にとって良い成功体験だったと思う。
GopherConのCTFもどきでIndividual Prizes全体の5/8を貰った✌️ pic.twitter.com/r2HVQUzZ8V
— task4233 (@task4233) July 11, 2024
さらに、関連した外部登壇を2つも出来たのも良かった。
本日の発表スライドです!
— task4233 (@task4233) September 3, 2024
GopherCon 2024 Recap: Exploring the Go Compiler: Adding a "four" loop / 構文追加で学ぶGoコンパイラの処理https://t.co/8YR5AkIjLH#go123party
本日の発表資料です
— task4233 (@task4233) September 19, 2024
GC24 Recap: Interface Internalshttps://t.co/YgI9xjEcca#mercarigo
このように、やっていき、の気持ちに傾きつつある今、まだ"遊び"を捨て切れない自分がいる。 特に、ダーツと作業通話だ。
ダーツは良い息抜きではあるのだが、お金を払って短期的な快楽を得る道具となっている。 これを極めて、10年後の自分が喜ぶかというと、甚だ疑問である。GopherCon後から継続しているランニングや筋トレの習慣がある方が、よっぽどカッコ良いと思う。
そして、作業通話。普段触れない人とコミュニケーションをとる貴重な機会ではあるのだが、いかんせん作業に集中できず、進捗がほとんどないことが大半である。この辺りのバランスを上手く制御できる人ならば問題ないのだろうが、僕は不器用なので、これが出来ないことが分かった。だからこそ、これを脱し、学生の頃のようにTwitterのような技術的に閉じたコミュニティで研鑽する形に移行したいなと思っている。
さて、これらの"遊び"も、そろそろ幕引きの頃合いだろう。“遊び"に熱中するのは楽しいが問題がある。手元に何も残らないこと、そして快感に慣れてしまうことだ。
今の生活を続けることで、10年後の自分は今の自分を見て、どう思うだろうか?
正直ダサいと思う。自分は自分のためにカッコ良くいたいし、後悔はしたくない。だから、“遊び"に明け暮れるのはここまで。
こんな当たり前のことに気づくのに2年もかかってしまった。今まで、月の振り返りなどで「〜を改善する」とか「〜をやる」とか言葉にしてはいたものの、心のどこかで本気にしていない自分がいた。
そして、ここまで書いていてもう1つの大きな問題に気づく。 学生の頃の陳腐なプライドがまだ脳裏にこびり付いていること。
昔はこうだったから、と思うのは自分の心に驕りを生む。その驕りは行動に表れる。 もっと謙虚に、ゼロからのスタートと思い込むのが好ましい。着実に、一歩一歩行動してから、昔の話をするのはその後でいい。
26歳になったキリの良い今、このやっていきの気持ちを継続して、来年の今頃は納得できる自分でいたいと強く思う。
そんなことを思った26歳の初夜。
さて、26歳はどんな歳になるんだろうか。楽しみだ。