非日常は楽しいが、日常にはしたくない
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この記事は、日本陰キャ協会 Advent Calendar 2022 の3日目の記事として書かれました。4日目の記事は Satoki さんの taskctf22のwriteup(一部) です。
私は誕生日が12月5日なので誕生日付近でCTFを開催しており、そのwriteupを書いてくれるようです。彼はtaskctfに毎年参加してくれますし、更に問題サーバの脆弱性を毎年見つけてくれるので、作問者としても毎年楽しませてもらっています。
はじめに
それはさておき、本アドカレの参加は「つくし」の生みの親である、よしみさんが以下のツイートをしたのが発端でした。
日本陰キャ協会のアドカレ作った
ref: https://twitter.com/1a60_y0shi/status/1594631521050267649
何を書いても良いらしいので、私は非日常は楽しいが、日常にはしたくないというポエムを書くことにします。
非日常は楽しいが、日常にはしたくない
簡単にいうと、楽しい「非日常」を繰り返すと「日常」に転化して楽しさが薄れてしまうので、「非日常」のままにしておきたいという話です。
ご存知の通り「非日常」は「日常」の対極に位置する言葉です。そして「日常」は、Wikipediaによると、「繰り返される普段の生活のこと」とされています。つまり、「非日常」は「繰り返されない生活のこと」と言えるでしょう。
これら「日常」と「非日常」には、それぞれ特徴があると思っています。それぞれ**「日常」は行動の思考負荷を減らす特徴、「非日常」は行動から受ける刺激を増やす特徴**です。
人間は同じ行動を繰り返すと、その行動に対する思考負荷が減ると思っています。例えば、歯磨きや洗顔・入浴などが該当します。実際にあなたがこれらの行動をする時、行動に強い意識を向けていることは少ないと思います。この特徴を利用して、新しい習慣を身につけたいときは、その行動を同じシチュエーションで繰り返すことで「日常」にするのが手っ取り早いと思っています。
この「思考負荷が減る」というのは一見メリットしかないように思えますが、同時に感動も失われるというデメリットもあると思っています。例えば、新しい環境に身を置いた直後は楽しいと思っていても、それが日常になると楽しさはおろか、面倒だと感じることさえあるでしょう。つまり、「非日常」を繰り返して「日常」にすると、その楽しさが薄れてしまうということです。
もちろん、楽しい「非日常」は何度も繰り返したいものです。でも、それを繰り返せば繰り返すほど、「日常」に近づいてしまいます。このジレンマに対する処方箋として、「非日常」な行動にノイズが加わる余地を持たせるということを最近やっています。
実際に、これは目黒ワンニャンパーク Advent Calendar 2022 7日目の記事として公開する予定ですが、散歩でも同じ方法を用いて楽しみを残したまま習慣化して、既に300日以上継続できています。そのため、自画自賛になりますが、我ながらに良い方法だったのだろうなと思っています。
「日常」や「非日常」の意識は、他の場面でも活かせると思っています。特にお仕事で。
私は来年から就職するのですが、同じようなタスクを繰り返し行うチームだと辟易させられるのが目に見えています。そのため、職務の中で何らかのノイズを加えられる余地があると良いのかなと思っています。ただ、それが何になるのかはまだ分かっていません。なので、少しずつ試しながら良いやり方を見つけたいです。
今回は、非日常は楽しいが日常にはしたくないという内容でポエムを書きました。楽しいことは繰り返すと楽しみが薄れていくのは悲しいところですが、少し何か工夫を加えることで、その劣化を抑えることができるのではないでしょうか。
おわりに
終わり方がよく分かりませんが、以上です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。